WEBコラム大丸神戸店の旧居留地開発について
株式会社大丸松坂屋百貨店 大丸神戸店長 松原 亜希子(まつばら あきこ)
2022年3月から大丸神戸店に店長として着任しました。株式会社大丸に就職し、地元の神戸店に配属となり、20年ほど旧居留地の周辺の開発や運営に携わって来ましたが、10年ほど神戸を離れておりました。愛着を持ってきた神戸の街に再び関われる事を幸せに感じています。
各地にある大丸松坂屋百貨店において、今でこそ当たり前のようになっている店舗周辺開発も、そのスタートは神戸店からです。百貨店だけが栄えるのではなく、「街と共に共生する事にこそ意味がある」という「地域共栄」の考え方は当社グループが目指す「感動共創」「環境共生」と共に、根幹の1つとなっています。
百貨店が「点」で成功するのではなく、百貨店を起点として「面」としての街の価値や魅力を最大化していく事に「意味」と「大義」があるという考えは、開発をスタートした当時も今も変わっていません。
神戸店の歴史
神戸店のルーツは1819年、西国街道沿いの兵庫区鍛治屋町です。兵庫店として開店し、その後1908年に神戸店として元町4丁目に移転しましたが、その当時は木骨コンクリート2階建てだったと記録に残っています。戦時中は進駐軍接収という時期もありましたが、1927年に現在の場所、明石町40番地に移転しています。今から2年後の2027年は現場所で商売をさせて頂いて100年目を迎えます。また、2027年は我々が店舗周辺の開発をスタートしてから40年、震災復興後のグランドオープンから30年という年でもあり、街と共に大きな節目を迎える事となります。


旧居留地開発のきっかけ
今でこそラグジュアリーを中心とした50以上の店舗が立ち並ぶ旧居留地ですが、開発以前の1980年頃は銀行の統合等で空き家となる物件も少なくなかったようで、老朽化したオフィス街そのもの。夕方以降は人通りも少なく寂しい街となっていたそうです。街の賑わいが三宮に移り、居留地のみならず元町のエリア自体も元気がなく、大丸は神戸の街において圧倒的な二番手百貨店(一番店は当時のそごう神戸店)という位置づけでした。
1980年前後の神戸のその他の主要エリア状況は、というと、北野エリアはTVや女性雑誌の影響で観光地化が進み、遊歩道の整備やシティーループの回遊も進んでいましたし、三宮エリアは神戸新交通ポートライナーが1981年に開通、市営地下鉄は1987年に全線開通、1988年には北神急行と相互乗り入れする計画がありました。三宮・北野エリアに圧される中、更に湾岸エリアおいては1987年にメリケンパーク、1992年には西武百貨店、神戸阪急、オーガスタプラザ(高島屋×大阪ガス)、複合商業施設「モザイク」、ダイエー、星電社など、様々な業態の商業が出店する計画がありました。
「神戸の2つの百貨店(大丸と当時のそごう)を合わせた、その数倍の面積の商業が今後出現する。多少、離れた場所であると思うものの、それがいよいよ建ちあがってくる姿を見ると、数十年に一度起きるかどうか?と言う様な大きな変化が、いちどきに、まさにこれから神戸の街に起きようとしている。沈み切っている元町を、一体どうしたらよいのだろう?」当時の神戸店長、長澤氏の危機感あふれるコメントが記録に残っております。
サザビーとの出会い
商業・ビジネスにおいて「三宮上昇 元町下降」の図式が加速化する中で、神戸店長に着任したのが先程のコメントの主、長澤昭(ながさわあきら)氏でした。様々な厳しい予見がある中で、社内でも投資優先順位の低い神戸店に、自ら店長として志願して着任した長澤氏は生粋の神戸っ子。元町の魅力化・活性化を思う中で、当時のサザビー、鈴木陸三社長と出会う事となります。鈴木社長は、当時神戸店が従業員施設として活用していた旧居留地38番館(旧シティーバンクオブNY)に着目されました。神戸店では価値が見いだせていなかった建屋でしたが、二人は意気投合し、そこで当時のサザビーの持つコンテンツを複数展開して、当時は珍しかった「パリの暮らし・文化」を世に提案することになります。こうして、昭和62年、旧居留地店舗の第一号「LIV・LAB・WEST(リブ・ラブ・ウエスト)※以下、リブラブ」が誕生しました。当時のレトロブームの勢いも有り、近代建築にモダンなコンテンツを導入し、うまく活用したこの店作りは大変な反響を呼び、全国からの視察も相次ぎました。
旧居留地店舗の第一号「LIV・LAB・WEST」


そして街づくりへ
競合エリアに負けない街の魅力を更に模索する中で、リブラブの反響をヒントに、次に長澤店長が目を付けたのが大丸カーポートでした。相当老朽化していたカーポートをリニューアルし、低層階を商業化するというものです。当時、ご友人であった安藤忠雄さんにご相談されたところ、3階まで商業としてぶち抜けば?というアイデアを頂いた事もあったようです。カーポートは30番地にありましたので、「Block30」と命名され、「エンポリオ・アルマーニ」「プラダ」等が日本1号店として入居しました。これも大きな反響があり、手応えを感じた長澤店長は、旧居留地に様々な店舗を誘致する、いわゆる周辺店舗開発がエリアの魅力化・特徴化に繋がると確信し、それを推し進めていく事になります。
Block30


阪神淡路大震災
1995年1月17日、被災を受けた大丸神戸店は店舗の三分の二を消失します。周辺店舗の物件についても被害を受けた建屋が多く、美しく気品ある佇まいの近代建築を活かした複数のビルは惜しまれながらも解体されるなど、神戸の街同様、旧居留地についても震災によって大きな打撃を受け、大丸の旧居留地開発における大きな転換点となりました。
被災直後、大丸の下村社長は「神戸店の灯は消さない。全社で神戸を支援するように」と号令を出し、当時の神戸店長森範二(もりはんじ)氏をリーダーとして神戸店の復興計画がスタートします。
神戸店本館は街の皆さまから「大丸さんが開くことが、普通の暮らしに戻れるという希望」という言葉を頂き、被災から三か月後に三分の一の面積の本館と一部周辺店舗で営業を再開、仮営業しつつ、三年の月日をかけ、1997年3月2日、現在の姿で復興グランドオープンを迎えました。復興にあたっては本館を「神戸のゲストハウス」と位置づけ、「クラシック&モダン」を基調にデザインされました。
旧居留地のイメージに合うよう考え抜かれた優美な外観は、30年近く経った現在でも神戸っ子のお気に入りの場所の1つであると自負しています。見上げて頂くと、本館外壁には大丸のシンボルである孔雀がデザインされ、コリドール(回廊)には地元企業UCC様に、まるで海外のカフェにいる様なイメージのカフェ業態の開発をお願いしましたが、このカフェは今も愛され、街の賑わいのアクセントにもなっています。
被災直後の神戸店


仮営業初日の様子


大丸神戸店(本館) 復興計画図面・パース


現在、そして未来へ
昨年から神戸市や旧居留地協議会、居留地に関わる地元有志方々のご協力を頂きながら、より旧居留地が魅力化され、賑わいが創出できる未来に向けて、PJを組み、様々な活動を進めています。
例えば先日11月28日~30日、旧居留地エリアでの豊かな過ごし方を提案する実証実験として「旧居留地テラスデイズ」を浪花町筋で実施しました。期間中の2日間、明石町筋では電動モビリティーに見て・触って・乗れる体験型オープンイベント「EV:LIFE神戸2025」も開催され、近隣の神戸市立博物館で開催中の「大ゴッホ展」の集客と相まって、たくさんの人出となりました。
また、神戸市、旧居留地協議会と連携し、明石町筋を中心としたライトアップの期間やエリア拡大を進めています。この様に、テナント誘致という手法のみならず、活性化、賑わいづくりの視点でも街に深くかかわりを持つ事で、地域に対する責任を果たしていきたいと考えています。
とはいえ、現在街づくりにおいて、課題は山積しています。過去来、百貨店が中心となってテナントを誘致していますが、物売りが過多な状況と認識しています。旧居留地の「滞留時間品質」をより向上し、定期的に、常習的に街を訪れて下さる方々をいかに増やすか?を志向すると、物販だけではないコンテンツ、新たなプレーヤーが必要となります。
また、神戸空港の国際化やマリーナの計画など、神戸の街の変化を街の活性化に向けた大いなる伸びしろと捉え、変化をさせていく必要を感じています。
「百貨店」×「旧居留地」というエリア開発は全国でも例がなく、このエリアの「唯一無二」の価値であることは間違いないと確信しています。
これからも、行政や地域の方々と連携をしながら、神戸という素晴らしい可能性を秘めたローカリティーを極めて行きたい。そして、地元のみならず広域からも、わざわざ来街・来店に繋がる「来る理由」「立寄る理由」に資するコンテンツを集め、エリア価値の最大化に繋げていきたいと考えています。
「百貨店」×「旧居留地」 エリアの魅力化と価値向上に向けて(ナイトタイムエコノミーの創出)



1988 年4月 株式会社大丸入社。2007年9月神戸店周辺店舗部長。 12年3月株式会社大丸松坂屋百貨店大丸神戸店婦人服飾部長。 13年3月大丸芦屋店長。 14年3月株式会社大丸松坂屋セールスアソシエイツセールスソリューション事業統括部百貨店販売事業部神戸・須磨・芦屋店担当部長。
15年3月株式会社大丸松坂屋百貨店大丸東京店営業1部長。 18年1月松坂屋上野店長。 19年1月執行役員大丸東京店長事務管掌。 23年3月執行役員大丸神戸店長。
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