WEBコラム神戸旧居留地の今昔
旧居留地連絡協議会 会長 松岡 辰弥(まつおか たつや)
同地区でまちづくりを行っています「旧居留地連絡協議会」で会長を仰せつかっております松岡辰弥と申します。今回は同地区の歴史や街のあり方などをお伝えできればと考えております。
開港と居留地
江戸末期、日本は諸外国と修好通商条約を締結し、長年続いた鎖国政策を終わらせました。そして、横浜・長崎・函館・新潟・神戸の5つの港を外国に開きました。
神戸は1868年に開港。神戸外国人居留地は、当時繫栄していた兵庫の市街地から、3.5km東に離れた砂地と畑地であった神戸村に建設されました。理由は、日本人と外国人との紛争を避けるためでした。
居留地はイギリス人土木技師であるJ.W.Hartが設計を行い、格子状街路、街路樹、公園、街灯、下水道などが建設されました。敷地は整然と126区画に分割されました。この形状は現在も変わっていません。また道路の名称や地番も当時の物を現在も使用しています。1868年9月に最初の競売が行われ、その後も3回に分けて競売が行われ126区画の土地はすべて売却。居留地は数年をかけて完成しました。
何もない「更地」に建設されたため、機能的で美しい街並みとなりました。当時の英字新聞『The Far East』には「東洋における居留地として最も良く設計された美しい街」との記載もあります。しかし、建築に時間がかかったため、物理的に外国人が住む場所がなく、便宜の措置として居留地外に雑居地を指定しました。そのことが北野地区、南京町の発展にもつながっています。
京町筋を北から南へ望む

異国文化の到来
外国人が多く住むようになり、他国の文化が多く持ち込まれるようになりました。神戸が発祥とされるものには、ゴルフ・マラソン・映画・紳士服・洋家具・ラムネ・ジャズ等々…。「発祥の地」は諸説あることが多く、本当の所はよくわからないのかもしれませんが、神戸に多くの異国文化がもたらされたことは間違いないでしょう。
1894年の日英通商航海条約により居留地返還が決まりました。1899年7月、居留地返還の式典が実施されました。当日の式典の中で、フランス領事de Lucy Fossarieuは、「居留地の歴史はそのまま神戸の歴史を述べることになるでしょう。神戸の歴史を語らなければ、居留地の歴史も語れません。」と話しています。
返還以後、大正時代と昭和初期、旧居留地には多くの日本人が入り込むようになり、ビジネスの中心地として日本の海運会社や商社、銀行などが進出し、いわゆる近代洋風建築のオフィスビルが、次々と建てられました。
第二次世界大戦が始まると外国人の多くは祖国へ追われました。さらに、1945年6月5日の神戸大空襲は、神戸の市街地を壊滅しました。旧居留地の建物は126区画のうち約70%が破壊されました。現在でも残る海岸ビルや商船三井ビルには機銃掃射痕と言われているものが残っています。


戦後からの復興
戦後、戦災復興事業などが開始されました。神港ビルはGHQの神戸基地軍司令部として接収。なかなか旧居留地の復興は進みませんでしたが、1950年の朝鮮戦争によって日本の経済が活発化し、旧居留地内に新しいビルが建ち業務地として再び繫栄することになります。
1980年頃から、旧居留地内に残されていた近代洋風建築物と歴史的景観が見直されました。これらを活用して、ブティックやカフェ、レストランが進出し、この頃から旧居留地は、業務地と商業地を併せ持つ以前とは異なる趣が見られるようになりました。
旧居留地連絡協議会の発足
1983年、当地区は神戸市都市景観条例の「都市景観形成地域」に指定されました。この機会に戦後から当地区にあった「国際地区共助会」は、会員を増やし、運営体制を強化し、「旧居留地連絡協議会」に名称も変更しました。以後、同地区でまちづくりを行っています。
阪神・淡路大震災を乗り越えて
1995年1月17日未明、阪神・淡路大震災が突如発生。旧居留地内にあった106のビルは、大小さまざまな被害を受け、うち22棟は解体を余儀なくされました。この中には、国指定重要文化財である「15番館」(居留地時代の唯一の建物)も含まれていました。(後に免震構造で復元)
震災後、旧居留地では周辺地域に比べ再建は早く進みました。震災から8年が経過した頃には、9割で再建が完了しています。新しい大規模なビルがいくつも建設され、飲食店やブティックなどの商業施設が増加しました。この地区の本来の機能(業務地)に加え、商業施設は一層の魅力を付加しています。
旧居留地連絡協議会では「にぎわい」「伝統」「風格」「もてなし」をまちづくりのキーワードとし、近代洋風建築によって形作られていたかつての街並みの良さを継承するとともに、安全・安心やユニバーサルデザインなどの視点も加えたまちづくりを行っています。その結果、以前よりもにぎわいや風格のある街が形成されています。
居留地内は基本ビルが立ち並ぶ地域です。他の都市にはよくあるビルの突き出し看板(袖看板)がありません。また、屋上にも広告物はありません。地区計画で禁止しており、すっきりした町並みを形成しています。新たなビルの建築や店舗の出店時には、旧居留地連絡協議会が、意匠の相談、助言を都度行っています。
また、年に数回会員の皆様に集まっていただき、地区内の清掃を行っています。また、プランターを貸出し、街に彩を添えるなど、街の美化・緑化にも努めています。
現在、2~30年後を見据え、「今後の旧居留地はどうあるべきか」を当地区で働く多くの方々に参加していただき、議論を進めています。「働く方々に誇りを持ってもらえる街」「ふらっと訪れたくなる街」を目指し、今後も旧居留地は進化していきます。

旧居留地連絡協議会 会長
2007 年7月 松岡不動産㈱入社。2011年6月 同社代表取締役社長就任。 旧居留地連絡協議会内では、2011年4月~2013年3月まで都心(まち)づくり委員長、2013年4月~2018年3月まで副会長を歴任し、2018年4月より会長に就任。現在に至る。
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